日曜日の朝。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
私は、のんびりと、今日の予定を組んで
ホッと一息ついております。
本日は、震災後、いろいろ悩んで考えて出した答え
「好きなことをして生きていくって事は責任を伴うってこと」をお届けします。
えーーー
そんな、堅苦しい話、無理です。
気ままにお届けいたします。
フォト日記
- いつもよりも早い朝。小さな風が水面を揺らす。紅葉と水鏡の共演。
- 青空が広がる朝。二本松の菊人形会場は、菊の香りに包まれてました
- 霧の朝。タイミングが合えば綺麗な水鏡の風景が撮影できるよと教わった場所
自分の主人となれ
「自分の主人となれ」そう言ったのは、ニーチェ先生。私の人生の師匠です。
自制できるということは
自分の中に巣くう欲望を自分で制御する、欲望の言いなりになったりせず、自分がちゃんと自分の行動の主人になるということ。
(漂泊者とその影:ニーチェ)
ニーチェ先生に出会ったのは二年前くらいかな?それとも3年前?
プチ被災中、いろんなことを見て、考えて思ったこと
今まで大切だと思ってきたことが、
それが本当に大切だったのかと言えば「否」
自分の中の、大切なものが何なのか
その大切なものを、大切にしてきたのか
そう、自分に問うと、答えは「否」
人の顔色をうかがって
その人に気に入られるように生きていく
それって、自己犠牲のようで、
他人の考えていることに従っていただけ
考えることを放棄してしまっていたから
実は、楽な生き方だったんだなと
確かに、自分の欲望を制御しているのかもしれないけれど
制御していると言うよりは
ただ、我慢しているだけ、あきらめているだけ
心の奥底には、満たされない心が沈んでいく
あきらめが増えていくごとに
自分の大切なものを忘れていったような気がする
その大切なものを手に入れるために
行動を起こすことにした
「みんなに好かれたい」という気持ちを制御することにした
みんなに好かれるなんて、無理なのだ
しょせん、人は、自分が見たいように、感じたいように見るのだから
そうしたら
「どうしたの?変わったね」←褒めてない
「本当は優しい人なのに、そんなことを言うなんて」
「大丈夫?心配だよ」
等々、いろんな事を言われた。
その度、その人が望む私像に戻ろうとする自分との戦いをしてきた
自分の心を説明してみても
そうじゃないでしょう。と
あたかも、心配している風を装って、自分の考えに従わせようとする
ああ、
相容れないのだと理解した
私は私
私の人生、好きに生きていいよと
私は私に許しを出す
そのかわり
今までのように、相手に好かれる人を演じないのだから
嫌われる覚悟が必要だよ
離れていく人も出てくるよ
覚悟は出来てる?
自分で考えて、自分の好きに生きていくってそういうことだよ
自分の人生の主人になると決めたのだから
ニーチェ先生が言っている「欲望」の意味するところは、わからないけれど。
自分の行動の主人になるってことは
自分の行動に責任を持とうってことなんじゃないのかな?と解釈してみた